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【辞令
上司から手渡された茶封筒の中身に目を通して、私は人目もはばからずガッツポーズをしてしまった。
夕暮れで薄暗くなっていた室内がパッと明るくなった気さえする。「やりました! やりましたよ先輩!!」
私の歓喜の雄たけびを無視して、終業時刻に迫られた
「せんぱーい? もしもーし! 聞こえてますかー?」
「はいはい、わかったから。帰りにゆっくり聞くからね。こーづかちゃんもさっさと締めの作業しないと帰れないよ?」くるりと椅子を回されて、強制的にパソコンへ顔を向けさせられる。
画面に映るのは不規則な数字の羅列。 三年もやっていれば考えるより先に手が動くようになったけれど、いまだに夕方になると頭が痛くなってくる仕事だ。 こんな表を埋めることよりもっと重大な事件がすぐ横で起きているっていうのに。「先輩ったらイジワル……」
「はいはい。毎回尻拭いさせられるこっちの身にもなってみなさいよ」 「う……」私は返す言葉もなくなって手元の資料に視線を落とした。
私、香塚妙は転勤族の父のもとに生まれた。
小学校で三回、中学と高校でそれぞれ一回ずつ転校を経験している。 おかげで友達ができてもすぐにお別れになってしまい、親友と呼べるほど長く深い付き合いには発展しなかった。 そんな私が唯一親友のように思っている存在がある。本だ。
本は私にいろんなことを教えてくれた。
公園で見つけた花の名前も、同級生が知らないような難しい四字熟語も、美味しいクッキーの作り方だって。ぜんぶぜんぶ、本を通して学んできた。それに、本はどこへだってついて来てくれる。
人間の友達は転校先へは一緒に来てくれないけれど、本ならいつでも一緒にいられるのだ。そんな私に転機が訪れたのは、二度目の転校の直後。小学三年生の秋のことだった。
「たえちゃんは本当に本が好きねぇ。大きくなったら司書さんになるのかしら?」
「ししょ?」 「図書館でお仕事をしてる人よ。本のプロ、って感じかしら」転校して真っ先に仲良くなった図書室の先生の話を聞いて、これだ! と確信した。
その日の放課後、私は勇気を出して図書館に行ってみた。
図書館は大人がたくさんいて入りづらい場所というイメージだったけれど、いざ入ってみるとそんなことは全くなかった。むしろその逆だ。 それまで見たこともないような本棚の数と、それをびっちりと埋め尽くす大量の本。前の小学校で読んでいたけれど、今の小学校には置いていなくて読めなくなっていた本もすまし顔で本棚に並んでいた。
ここは天国なんじゃないかと錯覚するような最高の空間だった。その日から私は「友達と遊んでくる」と親に嘘をついて図書館に通うようになった。
嘘をついたのは「図書館に行く」と言うよりも「友達と遊ぶ」と言った方が親が喜ぶからだった。図書館に通い詰めた私はすぐに司書さんとも仲良くなった。
「私もいつか司書さんになりたいです」
そんなような話をして、司書になるためには資格が必要なんだということを教えてもらったような気がする。
その後は司書の資格を取ることを最優先に進学先を選んだ。司書になることがそう簡単なことではないと知ったのは、資格も取得しいざ就活となった時期だった。
探しても探しても求人がないのだ。学生課の職員さんに例年の求人情報について聞いて初めて知ったのが図書館の求人数の少なさだった。
正職員となれば多い年でも県内で数名。 非正規の臨時職員ならその倍ほどの求人が出るが、中には契約更新をかけた現役職員も入ってくるので非常に狭き門であるらしい。「公務員試験を受けて市役所に勤めて、そこから図書館に異動を希望するっていう手もあるらしいけど……」
職員さんの話を聞いて、私は司書の求人に応募すると同時に公務員試験の勉強にも取り組んだ。
そして、縁あって就職したのがキッカイ町の町役場だった。異動希望を出し続けること三年。
ついに私の願いが聞き届けられ、念願の図書館職員への道が開けたのだ。私が語り終える頃にはカフェに入ると同時に頼んでいたコーヒーは冷めきっていた。
韮居先輩はいつものように「はいはい」と相槌を打ちながら話を聞いてくれていたが、私の話がひと段落したと見ると言いづらそうな様子で問い掛けてきた。「ところでさ、その伏木分室ってどこにあるの?」
「先輩ったらー、知らないんですかぁ? 先輩地元ここですよね?」からかうように返してしまったけれど、実は私も伏木分室の存在を知ったのはこの辞令を目にした瞬間が最初だった。
というのも、私たちが勤めるキッカイ町役場のすぐ隣に町立図書館の本館があるのだ。
図書館関係の用事はここへ行けば済んでしまう。 いつか他の分館にも……という思いこそあれ、実際に訪れる機会がないまま三年が過ぎてしまった。「
韮居先輩に言われて、そういえば役場の中でいつも聞くのは北分室と南分室の話ばかりだと気付いた。
「え……。じゃあ、本当に伏木分室なんてあるんですかね?」
まさか騙された?
不安を隠せず、すがるように先輩を見つめた。「んー、こーづかちゃんは
私の不安を煽るようなことを言ってから、しばし間をおいて韮居先輩が口を開いた。
「部長か誰かに話して地図もらってみた方がいいかもね。こーづかちゃん家どこだっけ? 伏木まで遠いんだったら引っ越しも必要じゃない?」
「うち、伏木寄りの岡志奈なので。こっちに来るよりは近くなるんじゃないかなぁと思うんです」 「ふーん。伏木台高校の奥とかじゃなきゃいいけどね」先輩の一言で私は顔をしかめてしまった。
伏木台高校は、伏木地区のはずれにある山の上の高校だ。そこへ行くのには百メートルを優に超える長い坂を登らなければいけない。「そんなところに毎日通わなきゃいけないなんて拷問と同じですぅ~」
「そんなこと言わないの! 高校生たちは毎日通ってるでしょ」 「あの子たちは若いもん……」私が口を尖らせると、先輩は呆れたようにため息をついた。
「二十代前半が何を言うかと思ったら」
「もう二十五ですー。立派なオバサンですー」 「こーづかちゃんがオバサンなら私はババアだねぇ」 「そ、そんなことないですよ? ……先輩にはたくさんお世話になりました。あと二週間、よろしくお願いしますね」大事なことを言い忘れていたと気付いて頭を下げると韮居先輩は一瞬表情を曇らせた。
強引に話題を逸らしたこと、バレたか!?「大丈夫? 熱でも出した?」
「先輩っ! 珍しく私が真面目に話をしてたのにっ!」笑いながらごめんごめんと繰り返す先輩の笑顔は、どこか寂しげだった。
私は帰宅するとすぐに枕の下へ本を押し込み、ベッドに寝転んだ。 いつもより早い時間だからまだ眠気はないけれど、ゆっくりと深呼吸をして眠りにつく努力をしてみる。「あ。入れた」 気が付くと私は夢の図書館にいた。「お久しぶりです」「また来ていただけたのですね。光栄です」 リーリエちゃんと睡さんが私を出迎えてくれる。 けれど、二人の目つきは以前と比べてなんだか鋭い。「前回とは違う本からお越しになられたのですか?」「……あ、はい。私が持ってた本は違う人に貸しちゃってて、別でこの本を持ってる人がいたからそれを借りてここへ来たんだけど」 私の言葉を聞いた二人はひそひそと言葉を交わしてから私に向き直った。「申し訳ございませんが本日はお帰りください」「えっ?」 私が理由を尋ねる前に図書館は消え、世界は光に包まれた。 夢から強制退室させられるなんて初めての経験だったから、驚いて目が覚めてしまった。 どうしよう、結城ちゃんを捜すっていう役目を果たせなかった。 もう一回寝直せば大丈夫かな? 眠気が早く来るようにホットミルクを一杯飲んで、改めて布団に潜り込む。 しかし、その晩に私が見たのは特に印象に残ることもない普通の夢だった。「ごめんなさい。役立たずでした」 私は伏木分室に入ってすぐ頭を下げた。 三つの影がいいのいいの、と私を庇ってくれる。 ……三つの、影?「結城ちゃん!?」「俺が見付けたっス~」 ドヤ顔はムカつくけど、すごい活躍。 結城ちゃんは昨日よりさらにやつれていた。 耳なし芳一の話を信じるなら、命を取られるのは七日目。 つまり明日だ。 見ていて痛々しい姿だけれど、今日は夢の図書館に繋がる本を持ってきている。
病院に運び込まれた結城ちゃんは、いくつかの検査を受けた結果、単なる寝不足でしょうとの診断を受けた。 でも、本人は昨日一日を寝て過ごしてたって言ってたのに……。「なんだかあれね。耳なし芳一の話みたいね」 伏木分室に戻った小津骨さんがぽつりと漏らした。 耳なし芳一。 聞いたことあるな。 目の見えない琵琶法師の芳一が偉い人の家に気に入られてお呼ばれするようになったので喜んで通っていたら、日に日に衰弱していって。 和尚さんが心配になって後をつけてみたら墓場で亡霊に囲まれながら平家物語の弾き語りをしていた、みたいな話だっけ。「あの話、どんな終わり方したんでしたっけ」「これ以上通ったら命を取られるからって和尚さんに全身にお経を書いてもらって、亡霊から見えないようにしてもらったのに耳だけお経を書き忘れたせいで亡霊に見えていた耳だけ持っていかれて終わりじゃなかったかしら」「あー! なんかそんなオチでしたね」 壇ノ浦の亡霊とリーリエちゃんたちは別物なんだろうけど、毎日通っているうちに衰弱していくってのは似てるかも。 そう考えるとちょっと心配なんだけど大丈夫かな?「どうにかして本を回収した方がよさそうね」「そうですね……。すみません。私があの本を持ってきたばっかりに」「いいのよ。むしろ誰にも言わずに香塚さんが持ち続けていたら、香塚さんが原因不明の体調不良になっていたかもしれないし。そうなっていたら助けようがなかったわ」 小津骨さんの言う通りだ。 自分一人で解決できないかなと思ったりもしたけれど、そうしていたら本当に原因不明で大変なことになっていたかもしれない。 その時、電話が鳴った。「大変。結城さんが病院からいなくなったらしいわ」 今日一日は病院でゆっくり休むように言われていたはずなのに。 なんだかとても嫌な予感がした。「私、ちょっと結城さんの様子を見に家へ行ってくるわ」「お願いします!」 こ
「……っていうことで、この本を近くに置いて寝ると夢の図書館に行けるみたいなんですけど、栞がずれるっていうのが結び付かなくて。小津骨さん、どう思います?」「どう、って言われると難しいわね。その『夢の図書館』っていうのがみんな共通して同じように見えるのかもわからないし、まして香塚さんはメガネをしてない状態で行ったんでしょう? それなら正しい姿が見えていない可能性もあるわ」 小津骨さんの言う通りだ。 瀬田さんからメガネをもらったのはいいけれど、メガネをかける習慣がないと忘れちゃうんだよね……。「香塚先輩、もしよかったらその本貸してくれませんか?」 結城ちゃんはこの本に興味を持ったようで、革張りの表紙を撫でてみたりページをパラパラとめくったりしている。「結城ちゃんなら霊感も強いみたいだし、お願いできるかな?」「そうね。危険を感じたらすぐに関わるのをやめてもらって、瀬田さんか誰かに相談するようにしましょう」「えぇ……、絶対なんかあるっスよ。やめた方がいいっス」 ビビリの真藤くんは一人苦い顔だ。「何かあるんだったら私がどうにかなってるはずだし、そんなに怖がることないと思うんだよね」「何ともないのはこーづかさんが鈍感だからっス」 ナチュラルに失礼なことを言った真藤くんを小突いてその日は終わった。 翌朝、結城ちゃんは満面の笑みで出社してきた。「行けましたよ~。夢の図書館!」「どうだった?」「聞いてた通り、大きなお屋敷いっぱいに本があって、男の子と女の子が応対してくれました」 二人の容姿も、自分の夢の本を手渡されたのも同じ。 ここまで共通項が多いとただの夢とは思えない。「夢の本を持って帰ってきたら本が上書きされるって聞いたから試しに持ってきてみたんですけど、本当ですね」 本をめくりながら嬉しそうに結城ちゃんが笑う。 自分の夢の中身が書いてある本を持ってくるなんて、結城ちゃん
そんなこんなで仕事が終わって帰宅すると、ちょうどお隣の木井さんが出かけるところで玄関前で鉢合わせた。 木井さん、珍しくスーツを着ている。「これからお仕事ですか?」「ええ、仕事というか……仕事になるかどうかのお話をしに行くというか……」 木井さんは微妙な感じでお茶を濁す。 この人の仕事ってよくわからないからなぁ……。 もしかしたら喫茶店とか占い師の他にもいろいろやってるのかもしれないし。 夢の図書館へ繋がる不思議な本がうちにあるなんて言ったら木井さんも喜んでうちへ飛び込んできそうだよね。 っていうか、伏木分室の仕事の内容とか話したら喜んで飛びついてくるんじゃないかな? それはちょっと困るから今は伏せておこう……。「お仕事につながるといいですね! じゃあ、頑張ってください」「ありがとうございます」 木井さんはぺこりと頭を下げると小走りで階段を下りて行った。 急いでるところを呼び止めちゃって悪かったかな? そう思いながら鍵を差し込んだ時、階下から派手な音が聞こえた。「大丈夫ですか!?」 慌てて下の階を覗き込みながら呼びかけると、木井さんがよろめきながら姿を見せた。「最後の段を踏み外しただけです~」 いててーと声をもらしながら、右足を引きずってひょこひょこと走り去る木井さんを見ているとなんだか放っておけないような気持ちになってくる。 奥さんもいるからきっと大丈夫だと思うけど、次に会ったら湿布でも渡そうかな? 木井さんのことを心配しながらも部屋に戻った私は、机の上に置きっぱなしにしていた本に手を伸ばす。「リーリエちゃん、この本が夢の図書館へ繋がる鍵になるって言ってたよね?」 でも、どうやって? 考えながら前にスピンを挟んだページを開く。 夢の世界の図書館で会ったリーリエちゃんの肖像画。
私が伏木分室に入ると、奥の部屋から男の人と小津骨さんが話している声が漏れ聞こえていた。 真藤くんとは違う声っぽいけど、始業前なのにお客さんだろうか? お客さんなんて滅多に来ないのになぁ、と思いながらいつもの仕事部屋に入ると、結城ちゃんが壁に耳を押し付けて隣の話を盗み聞こうとしているところだった。「あ、香塚先輩! ワタシ、さっき見ちゃったんです。小津骨さんがスーツ姿のおじさんと奥の部屋に入っていくところ!」「依頼者さんかな? なんか珍しいよね」「グレーヘアをオールバックにした真面目! って感じの人でしたよ。そんな人が怪奇現象対策課なんて怪しい名前のところに来るかなぁ……?」 たしかに、頭の固そうなおじさんはこういう所に来るイメージはないかも。「真藤くんは何か聞いたりしてないの?」「聞いてないっスー。朝来たらもうおじさんが立ってて、おつぼねさんと奥の部屋に行っちゃったっス」 まさかの一番乗りだったとは。 それにしても気になるのが……――。「真藤くんさ、どうして小津骨さんのことを『お局さん』なんて呼ぶの?」 毎回怒られるのをわかっていてその呼び方をするってことは、親子であるが故の照れ隠し? なんか、真藤くんってそういうタイプじゃない気がするんだけどなあ。「え? おつぼねさんだからおつぼねさんって呼んでるだけっスよ?」 え? もしかして私が勘違いしてただけで小津骨さんってあの字で「おつぼね」って読むの? でも自己紹介の時にしっかり「おつほね」って名乗ってたよね?「一番年取ってて偉いオバサンを『おつぼねさん』って呼ぶっス。ドラマで見たっスよ。もしかして、こーづかさん知らないっスか?」「……あ、え?」 真藤くん?? お局さんって言葉は現実よりドラマの世界で聞くことが多いのはわかるけど、なんかちょっと違う覚え方してる気がするなぁ。「真藤
気が付くと私は大きなお屋敷の前にいた。 後ろには立派な門があり、広い庭もある大きな洋館だ。 どこからともなく甘いような不思議な香りが漂ってくる。「すみませーん、どなたかいませんかー?」 呼びかけながらドアを押すと、鍵は開いていたようですんなりと大きな扉が開いた。「いらっしゃいませ。ようこそ、夢の図書館へ」 ドレスの脇をつまんで、ちょこりと会釈をする十代前半と思われる少女。 リボンが蝶の翅のようにふわりと揺れた。「わたくしはリーリエ。この図書館の司書をしております」「あ、こ、香塚です」 リーリエと名乗ったのはいわゆるゴスロリのような恰好をした、十代前半くらいの少女だ。 透き通るように白い肌と黒いドレスのコントラストと、人形のように整った顔立ちに目が釘付けになる。 少女は胸の辺りまで伸びた黒髪をハーフアップにして、髪色と同じドレスを身に着けている。 ドレスの裾や袖口のレースは何段にも重ねられ、まるで花のよう。 頭上のリボンはその香りに誘われて舞い降りた蝶のようだ。「リリ? 誰か来たのかい?」 声がした方を見ると、ひとりの青年がこちらへ向かってくるところだった。 黒いスーツベストを着た赤茶色の髪の青年。 その顔にはまだ幼さが残っている。「すい」 リーリエちゃんは青年の方へとことこと駆け寄っていき小声で何かを伝えている。「香塚様、ようこそ夢の図書館へ。本館の管理人をしています。芙蓉睡と申します」「フヨウさん……?」 なかなか聞かない珍しい名前だ。「蓮の花の別名だそうですよ。あ、呼びづらければ睡で構いません」 柔らかに微笑みながら教えてくれた睡さんは私を屋敷の中へと案内してくれる。「わぁぁぁぁぁ……」 屋敷の中に入った私は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。 三階まで吹き抜けになった